※本記事にはネタバレが含まれています。
各レヴューについて話してしまうとキリがない上に、できればあまり語りたくないなと思うので、ここではざっくりと全体の話を。細かい話はツイッターで気が向いた時に戯言みたいにあれこれ喋るんじゃないかな......?
綺麗な形で締めた作品に続きを求めることや、実際に続きが作られることは「物語を掘り起こす」という側面があるのではないか、と自分は考えています。ロンド・ロンド・ロンドや本作の序盤で描かれた「舞台少女の死」という演出が停滞の象徴であったことは言うまでもありませんが、先の思想にめちゃくちゃマッチしていました。実際に舞台で使われる血糊が甘いということは置いておいて、香子の「甘い」発言は停滞が持つ甘美な魅力を表すと同時に「綺麗なままで終わっておけば」と突きつけるようなインパクトを視聴者に与えてきたのではないでしょうか。
終わりのその先へと踏み出すにはキラめきだけでは足りない。野生こそが必要だと主張するかのように。レヴューはどれも苛烈で見応えがあったと思います。
一度は幕を引いた物語に続きを求めて/掘り起こして、先へと歩ませたことに対して責任を持たなけらばならないと思わせるような構造はとても好みでした。
そして、本作を鑑賞して抱いた感情の中で最も大きかったのは「寂しさ」でした。
(限りなく語弊ののある言い方ですが)ワイルドスクリーンバロックの終幕によって彼女たちは舞台少女ではなくなり、より遠い場所へ行ってしまったんだという感触を持ったんです。いやこれほんとに語弊ありまくりですね......すみません。
テレビアニメで語られた「演じる者と見る者が揃って成り立つ」という舞台の在り方。この共犯関係を飛び越えたと示したのがED直前の展開だったと思います。わざわざ"レヴュースタァライト"と表現していたことであったり、作品を象徴するアイテムが壊れたり頭から離れる描写はどうにも「従来の枠組みから飛び出す」というニュアンスが感じられるんですよね。ひかり、もとい視聴者が華恋へトマトを投げる演出は本当につらくて......
かなり穿った受け止め方をしてしまっていますが、こう思っているからこそアニメという形で彼女たちのこの先のドラマを見たくはないなと。既存の枠組みから飛び出すことを死からの再生という形で描いているので茶番になりかねないので......
まあそれはそれとして、アニメで新展開があれば喜びはするんでしょうけどね。